~旅に参加された会員様から紀行文を頂きました~
3月、くらぶベルテンポさん初のアフリカ上陸の旅に参加させて頂きました。東アフリカのタンザニア一国に絞った旅ですが、これが大成功に終わったのです。
成功に導いたものは何か、それはベルテンポさんと現地の同業他社さんとの綿密な情報交換を、時間をかけてじっくり行った事にあると思います。そしてその情報交換する相手をベルテンポさんの研ぎ澄まされた感性が選びぬいた結果によるものであると思いました。
タンザニアの3月は雨季。
多くの草食動物が雨で育つ草木と飲み水を頼って集まってくる。
その草食動物を目当てに肉食動物がやって来る。
その、生死を懸けた壮絶な戦いを、フォトグラファーが放って置くはずがない。
この時期、サファリパークはまさに三つ巴の様相を呈していたのです。
その中で私たちの心を和ませてくれたのは、すべてと言っていいほどの動物達が生まれたばかりの子供達をファミリーで守っている姿でした。その光景もこの時期ならではの光景だそうです。
この時期に決定した事によって、私達はこんなに多くの動物達と出会う事が出来ました。
シマウマ、ヌー、アフリカゾウ、カメ、マサイキリン、シシ、ライオン、ヒョウ、リス、チーター、プチハイエナ、インパラ、イボイノシシ、サバンナモンキー、ブルーモンキー、グランドガゼル、カバ、ブッシュバック、セグロジャッカル、クロサイ、ジャコウネコ、バッファロー、トムソンガゼル、ハイラックス、マングース、そしてハゲタカ、ペリカン、カンムリツル、アフリカクロクイナ、フラミンゴ、ダチョウ、ツバメ、その他の鳥たち。
この種類の多さはどうでしょう。数も数え切れないほど。さらに、動物達がくり広げる意外で可愛いエピソードの数々を胸一杯にしまって帰って参りました。
動物に出会う事を第一の目的にしていたこの旅は、これで99.9%は成功したと言えます。
この高いパーセンテージをつくった立役者は、現地の案内兼ドライバーのニクソンさん。彼の名はかつてイギリスの植民地だった頃に由来するものかどうか分かりませんが、タンザニアの部族の方です。彼の視力と経験に、何度驚かされた事でしょう。
話を最初に戻しましょう。キリマンジャロ空港へ向かう機窓から見たタンザニアの空は、ダイアモンドを抱えているかのように硬質な光を放つ雪が、澄んだ青空を隠すように幾重にも重なる。私はかつてこれほど無垢な空を見た事がありません。
アフリカの大地は赤い。
セレンゲティ国立公園に入った私たちの車が、まるで地球のど真ん中を走っているかのように、どこまでもどこまでも真っ直ぐに進む。行けども行けども360度地平線に囲まれている。はるか前方の地平線上に小さく見える動物達のシルエットが次々と姿を変えていく。
私は自分がちっぽけな虫になって動画の世界に入ってしまったような錯覚すら覚えたのです。
そう、セレンゲティとは「果てしない平原」という意味で、面積は四国がすっぽり入ってしまうと云うのですから…。
2000万年前、地層の変化でマグマが噴出して出来た巨大なンゴロンゴロクレーターの存在。
そしてむき出しの太古の地層。これがアフリカのタンザニアの大地なのです。
「かつて人間は、野生生物の大海に浮かぶ孤島のような存在だった。だが今では、野生生物が人間の海に囲まれている」との言葉を、ある生物学者は残しました。サファリパークは人間の都合で少なくなった動物の保護のために人間が残した、動物が辛うじて生きられる場所。
各保護区の中で動物達はただひたすら生きるために生き、弱肉強食の世界をつくる。
食べる者も食べられる者もその姿は神聖で神々しい。
その神聖な場所を、私たちを含めた外国人は「サファリ」を楽しむのです。
見渡せばあちこちに決定的瞬間を待つサファリカーが行き来している。
道路は整備されてむやみに動物を追いかける事は出来ないのですが、ヌーがサファリカーに向かって全身であからさまに「うるさいなぁ」という態度をとる。
シシの群れでは赤ちゃんシシがサファリカーを怖がり、母親の胸にしがみつき震えている。その横でお兄ちゃんらしい子ジシが、赤ん坊を庇うように歯を剥き出して怒った。
車の窓から無礼につき出た2本の巨大なレンズに向かって、若いライオンが怯えながら身構えている。私にはそのレンズが銃口に見えた。ライオンにはどのように見えたのだろうか。
私たちに反旗を翻すかのような態度をとった動物たちは、私たちに同化していると思われる動物たちに比べほんの一部にすぎないけれど、やはり動物たちにとってサファリを楽しむ人間は招かざる異物なのでしょう。
昼間、夜行性のジャコウネコを見かけました。
観光客から出たごみを目当てにごみ箱を漁りに来るのだそうです。
生態系のほころびがこれ以上大きくならない事をのぞみ、今自分がここに居る事に罪悪感を覚えながら、またサファリツアーは動物保護の資金源になっている事に安堵する。
この相反する二つの心を抱えながら私は愛しい動物たちとの出会いを、真実・真実楽しんだのです。
タンザニアの夜空は、星々のまたたきが目を凝らせば宇宙の果てまでも見透せる。と大げさな表現をしたくなるほど深く美しいものでした。
ホテルはどこも豪華で、だがヨーロッパ色が色濃くて、まだ植民地化しているのかとちょっぴり苛立ちながらも、整った設備に感心しました。そして何よりも清潔なのが嬉しかった。
たった三人だけの小さな旅になりましたが内容は大きく、朝食に「今日一日よろしくお願いします」、夕食に「たのしい一日有難うございました」と地ビールで乾杯する楽しさ。
ホテルのお料理は日本のように贅沢な食材はないけれど、十分に美味しかったのです。
タンザニアコーヒー(日本ではキリマンジャロという)とキリマンジャロの伏流水ミネラルウオーター。そして蜂蜜の美味しさは格別で、私はこれだけで一日を過ごしてもいいと思うほど満足しました。
心残りはただ一つ、滞在中厚い雲に隠れて名峰キリマンジャロの姿を見る辛が出来なかった事。
そして大変驚いた事は、昼間大きな木の下でライオンのファミリーが休んでいるのを見て、ニクソンさんは「20頭いる」と云いました。
でも私がどんなに日を凝らして何回も数えても10頭しか見えない。
以前サンコンさんが、「アフリカで私は目が悪い方。4.0しかない」と云ったそうです。
それではニクソンさんの視力は5? 6? 7???
とうとう帰る日になりました。
この旅はタンザニア全土の10分の1ほどの旅かもしれないが、それでも沢山の衝撃を受けました。
なかでも、文明は自然には太刀打ちできないという事を、2000万年の歴史を持った豊饒な大地から教えられました。
そして街の子供たちが、通る車の窓拭きや新聞売りに真剣になっている力のある目に、この国は貧しいというレッテルを張つて良いのか、本当の貧しさとはどういう事なのか。答えはまだ見つからないけれどおぼろげながら答えの方向が掴みかけてきた事に、この旅の意義を見つけたように思います。
そして、計らずも私の目前で命を落とした愛する動物たちから、命のはかなさと重さの意義を胸にずしっと衝き付けられた時、私の中でふつふつと新しく生きる力が湧いてきました。生きて生きて生きてこそ愛する動物たちへの鎮魂歌になると思ったからです。
キリマンジャロに心を残しながら機上の人になりました。
草原はいつまでも草原であり続くように、
ニクソンさんの眼はいつまでも良いように、
動物たちが皆天寿を全うできますように、
空はいつまでも無垢で美しいように、
と祈りながら赤い大地に別れを告げふと眼を空に移すと、なんと雲間から雪を頂いたキリマンジャロがそこに見えるではありませんか!
私は思わず、離れた席の添乗スタッフの高萩さんを大声で呼んで、周りの人たちの注目を浴びてしまいました。
それでも構わない、ああやっと出会えた名峰キリマンジャロ!
これで成功率200%の旅になりました。
(旅レポート執筆/小林様)